丸めた紙を開いたら

日々の生活から思ったことを自分の言葉で書き連ねるブログ

【備忘録】メール設定沼にはまってしまった

まずは副業という形になってしまうけれど、ゆくゆく起業を考えている。

起業って書くと自分の中ではスケールが大きく映ってしまうから、あまりこの言葉は好きではないけど、フリーランスで、というイメージ。

で、のちのち「見返したいな」と思うこともあるかもしれないので、自分のためにも何をやったのか・何に躓いてどうしたか等の備忘録をつけることにする。

他のことはゆくゆく書くとして、今日は「メール沼にハマった備忘録」

(備忘録ということもあり、画像作りは面倒なので割愛します)

当初Gmailを使っていこうかと考えていたが、先日「お名前.com」でドメインを取得していたこと・費用もお手頃だったので「お名前メール」を契約し、アドレスを作った。

普通にアドレス云々の設定や、スマホ含むメーラー設定等に関しては全く問題なし。

テスト送信を兼ねて自分のGmailアドレスへ送信したことで沼が発生した。

(1)送信エラーになった

よくある送信エラーメッセージが返ってきた。
自分のアドレスなのに打ち間違えるとは…などと思って確認したら合ってる。

再度送ってみたがやはり返ってくる。迷惑メールと判断されたか?と思ったわけです。

(2)いろいろDNS設定いじってたからそのせいか?

ということで早速ヘルプへ。よくある質問に立ってました。。

そこには「サーバー設定が原因となることが多い」と書かれており、確認したところこれに該当していた。

以前CNAME設定をした際にネームサーバーが変わってしまっていたのが原因だった。

というか、そもそもどこかに書かれているのかもしれないが、ドメインのコントロールパネルの場所を今回初めて知った…。

いつもNAVIから入り、ドメインドメインDNS設定…といじっていたのだが、ちゃんとコンパネがある上に、ドメイン+お名前メールのみの契約の場合はそこから行えば良かったらしい。。

この後もコンパネ行くのに何度も迷子になってしまったので、NAVIから簡単にコンパネいければいいのになぁ(行く方法があったら知りたい…)

とりあえず、ネームサーバーの設定を変更し、改めて再送したのだがやはりエラー。

「変更が反映されるのに最大72時間かかる場合がある」とあったので、そのせいかなとも思いながら別のフリーメールでテストしたところ、そちらでは問題なくお名前メールのアドレスとやり取りできる。

「??」ということで、もっかいGメール送信。やっぱりダメ。

よくよくエラーメッセージを読むと(さっさと読めばいいのに)、要は「SPFレコードがちゃんと指定されていないです」的なエラーだった。

SPFって豚肉じゃないの…?となった私は、SPFレコードをググることからスタート…。

www.j-spf.com

(3)なんとなくわかったのでDNS設定に戻る

SPFレコードについてなんとなくわかった気がしたので、気を取り直し、まずはお名前.comのヘルプを参考にしようと思い開いたら…

上記エラーメールを受信された際は、弊社レンタルサーバー RSプランのSPFレコードをご設定のうえ改善がみられるか、ご確認ください。

レンタルサーバー RSプランのネームサーバーにおきましては、SPFレコードをデフォルトで設定しております。

ご利用ドメインを、他ネームサーバーにてご運用中の場合、RSプラン用のSPFレコードが設定されていない可能性がありますので、
以下ガイドの手順にて、コントロールパネルよりレコード情報をご確認のうえ、ご利用ネームサーバーへご設定ください。

レンタルサーバーご利用ガイド サーバーの各種情報を確認する

なお、メール送信先へ、ドメインを指定してメールを受信いただけるようお伝えいただくことで改善する可能性もございます。

メール指定の受信方法に関するGmailのヘルプページを参考にしていただけますと幸いです。

…私の頭では、これだけでは何のことかわからなかったので、リンク先に飛ぶもよくわからなかった。

…え?不親切では!?と思いヘルプページを漁ると、別プランでも同様の問い合わせがあったようで回答があった↓

他サービスのSPFレコードと併用することをご希望の場合は、共用サーバーSDにて標準で設定されているSPFレコードを、追記する形でご設定をお願いいたします。

なお、他サービスのSPFレコードを複数行設定されますと、SPFレコードが正常に認識されない場合がございます。
SPFレコードを1行にまとめて記述する方法につきましては、弊社サポート対象外となりますため、Web検索などで記述方法をお確かめのうえ、設定いただきますようお願いいたします。

DNSレコードの編集方法につきましては、以下のガイドをご確認ください。

 

自分で調べてやれってことですね!???

仕方がないので、いくつかのサイトを参考に初期設定のSPFレコードを見つけるも、いまいちわからず。

やっとたどり着いた親切に書かれている参考サイト様のおかげで記述完了!

(4)送れた!!

その甲斐あって無事に送れたわけです!Gmailからもそのアドレス宛へ送れなかったのに解消された!やったー!!

…と喜んだのも束の間。また送れなくなった。

(5)嘆きしかない

今度は「MXレコードとAレコードが一致してないんじゃないの」と言ってくるGmail

知らんよ!と思いつつ、またネットを徘徊。

似たようなトラブルについて記されていた方のサイトを発見したものの、残念ながら解決方法が参考にならなかった。

途方に暮れながらたどり着いたのは「さくらインターネット」のヘルプページ(笑)

そこに貼られていたリンクページには、まさかのSPFレコードの記述方法が…。

正直パッとわかるものがよかったけど、仕方がないのでここでまた軽くお勉強タイム。そして、先に参考にさせていただいたサイト様の記述をベースにこちらの内容を合わせて再記述。

正直これでどうにもできなかったら教えてくれるかはわからないけど問い合わせるしかないと思った。

(6)無事開通!!!!

おそるおそるGmailへ送信したところ無事に受信!!!そしてGmailからも送信ができた!!!!

Gmailとの戦いに終止符が打たれるのに半日かかってしまった。

まさかこんなことが起こるとは…。正直もうやりたくない。

Webに精通している人ならお手のモノ案件だと思うけれど、私のような人間もいるので、もうちょっとヘルプページに詳細があるといいなぁと思った。

また、確かにDNSの設定変更は自己責任だからSPFの設定も各自で〜というスタンスは理解できる。

でもGmailで届かないパターンがあるってわかってるなら例でもいいから記述例とか書いておいていただけると助かるなぁと感じた次第だった。。。

とりあえず一歩進んだからよし…かな。

7:好きなのに重い鎖で縛られる

だんだん●日続けばいいほう坊主の本性が出てきた感があります(笑)

さて、本日は久しぶりに絵を描きました。
描いている最中いろんな気持ちが湧いていたので、ちょっとそのことについて書いてみようかと思います。

絵は好きですが過去に苦い思い出しかないです。そう、絵は誰がみても上手い下手がわかる上に、そもそも描ける人が多い。

そして、学生時代なんかは特に「絵が上手い/下手」でヒエラルキーができた記憶があります。

今は違うのかもしれませんし、そういう環境が特殊なのかも知れませんが少なくとも私が属していた環境はそんなでした。

例えば。。

友人の描くイラストがとてもかっこよくて、自分にも描けないかなと頑張ってみるとパクった・真似したと怒られる。

「ごめんね、あまりにもカッコよかったからつい…」的な平謝りをしたこともありますね。

…時効だと思うので、この件に関しては開きなおってもいいでしょうか。

誰だっていい作品には影響を受けるじゃないですか。
あなたの描いてる絵だって、作家さんや漫画家さんの影響を受けてませんか?と今ならその子に言える気がします。

真似されるってことはあなたの作品がそれだけ真似した側にとって価値あるものだったから素晴らしいことなんですよ!(開き直り)

まあ、確かに誰の影響も一切受けずに、自分がゼロから考えて作り上げたものと似た作品が世の中に発表されて自分以上の評価を得たら不満は覚えますがね。。
それだったら、ごめんなさいって素直に謝りますが。

こんなこともありました。

美術室の準備室に入った時に、私が描いた版画がたまたま目に入った知り合いがいて、「すごーい」と言った直後「やっぱ全然すごくない。むしろ下手」と言ってその版画絵をずさんに戻したんです。

なので「それ私の絵なんだ、下手でごめんね」と言ったところ、その子の顔が一瞬青ざめまして。
「あ、うそうそ!上手いよ!下手とか冗談だよ〜」って取り繕う姿を見て、人間の本性ってこんなもんだなと多感な学生時代に思ったこともあります。

さらに社会人になって、とある案件で、自称:絵が描けない上司に『リアルな描写のベリーダンサー』を描いてと言われ、頑張って描いてたら「何それ!!何描いてんの!?」とか大声で笑われながら言われたこともありました。。

すごい恥ずかしくなって絵を破り捨てたかったですね…。涙が込み上げてきましたがその時はグッと押さえました。

…うーん、改めていい思い出が本当にないなぁ。
上以外でもチクチクと胸が痛む記憶しかない。

なんで嫌な苦い記憶しかない、誰かに褒められたりした記憶もないのに、絵を描くのがいまだに好きなのかはわかりません(笑)

絵を描くという行為は私の中で好きなもののはずですが、もしかすると重い鎖になってしまっているのも事実かもしれません。

本当は絵を仕事にしたいと思うのですが、散々言われてきたので人前に出すのはとても勇気がいるんですよね。例えSNSでも。

だから、失礼ながら画力はそんなに高くないかなと思う絵でも、SNSなどでバンバンUPできてる方達はすごいなと思いますし羨ましいです。

「作品を比べるなら一流の人たちのものと較べなさい。
でもその人の作品を自分のレベルに落としてはいけない。嫉妬するのはその人の作品を自分のレベルに落としているからだ。
自分の作品のどこが足りていないかを考えなさい。

かといって同じレベルの人たちとも較べてはならない。どんぐりの背比べだからね」

と専門学生時代になんかの先生に言われたことを、これを書きながらふと思い出しました。

もしかすると較べる・較べられるのが怖いのかも知れませんね。

うん、ちょっとだけ気持ちに整理がついてきた気がします。
あの絵はまだ描きかけですが完成させますよ!

6:この投稿できてる時点で平和なのよ

気づけばしっかり観てしまっていた、4/8に最終回を迎えた『カムカムエヴリバディ』。

NHKの朝ドラは『なつぞら』から、テレビがつけっぱなしだったらちょいちょいみる感じで通しでしっかり観たことはなかったのですが、これは観てしまった…。

見始めたのも朝ドラ15分間で、ラジオ英語番組よろしく英語のフレーズが勉強できると思ったという邪な単純な動機から。

…まぁ実際そんなことはなかったんですが。。

実際はどれだけの視聴者がいて、歴代の朝ドラでどれだけの人気があるのかは知りませんが、個人的には「平和」であることの素晴らしさを改めて考えるきっかけになりました。

貧富の差は拡大していると言われているし、景気もよくない社会ではありますが、人為的な戦争や争いによって多くの命が絶たれてしまう状況にはない。

基本的には大多数の国民が、好きな時に食事もできて水は飲める。
寝るところもあって、欲しいものがあったら買えたり、思い立ったらやろうと思ったことがやれる。

世界を見れば、国内紛争や国同士の争い、そういう状態になくても粛清や民族虐殺など多くの血が流れてます。

食べ物が本当になくて水を飲むこともままならない飢餓状態の地域だってある。

今大きな2国間の争いといえばロシアとウクライナの問題ですが。

日本だっていつ何時そういったモノに巻き込まれ再び加害国・被害国になってしまうかはわかりません。

ただ、もし世界の多くの人々が望むであろう「平和」が、「好きなものを好きな時に飲食できて、安心して眠ることができて、どんな信仰を持っていても命を狙われるような批判もされず、やりたいことがやれる」状態であることを言うならば、例え平和ボケと言われようがそういう世界で生きられている自分は、とても恵まれていて有り難いことなんだと思います。

細かい目で見たら真の「平和」ではないでしょうけどね。
生活が困窮して苦しいとか、虐待や犯罪といった問題はありますし。

さらに社会的な側面で見たら心が疲れやすい社会ですし、命を自ら絶ってしまう方も多くいらっしゃる状況ではありますが…。

(この辺はまた別に実体験を通して書きたいことがあるので改めて書きたいところ)

なお、前述した『カムカムエヴリバディ』のテーマはWikipedia大先生によると、

「どんなことがあっても、自分の居場所は見つかるから、陽のあたるトコロへいこうよ」というテーマ

らしいです。
確かに人生の選択を間違ったと思ったってそこで終わりではなく、それでも未来は続くから生きるんだという感じでした。

AIさんが歌う主題歌の『アルデバラン』もすごく胸打たれました。
私の好きなフレーズは下記の2ヶ所。

笑って笑って 愛しい人
不穏な未来に 手を叩いて
君と君の大切な人が幸せであるそのために
祈りながら sing a song

紡いで紡いだ 心の糸
ペテンな時代に 負けないように
もしも君が不確かな明日に心震わせているのなら
私だってそうよ friend

ドラマに興味なくてもいいので、この曲は聴いてみてほしいなぁと思ったりしますね。

作詞作曲は森山直太朗さん。
制作エピソードについて書かれた記事を読んだら笑っちゃいましたが、色々考えさせられる曲だと思います。AIさんの歌唱力もあるのかな。

とまぁ、今の生活を送れていることに感謝しながら、雑草のごとく私はいきます( ´∀`)

5:やってみたらいいんじゃない

現在住んでいる場所は冬が長いです。

ええ、テレビが桜で賑わっている頃なんてまだまだ寒いです。

元々は関東住まいだったのですが、結婚を機にここに来てかれこれもうすぐ9年。月日が経つのはあっという間です。

そんなことに思いを馳せていたら、そういえばと思ったことがありました。

ここで出会った人たちに、たまたま何かの折に将来の夢的な話をしたことがあります。
「将来的に~~でやっていきたいと考えているけど、ちゃんとやってこなかったし云々、踏ん切りがつかなくて云々」的な。

すると口を揃えて「やってみればいいんじゃない?」と軽くバッサリ言われました。

「自分の人生だし、他人に迷惑をかけなければやりたいと思ったことはやったほうがいいよ」
「失敗したってそれで人生が終わるわけじゃないじゃん」
と。

あまりにも軽く言ってくるので、「そんなに仲良くないから言えるんだよな、まぁどうせ他人だしな」と変に斜に構えてしまう自分もおり、何とも言えない気持ちになりましたねぇ。

ただ、街の雰囲気としては「人に受け入れられるかはともかく、完成度が低かろうがなんだろうがチャレンジしてみなよ」精神が多い場所である気がします。

オフィスがあまりなく、個人事業主さんが多いというのも関係しているのかもしれません。

あるいは土地柄、漁師町なので、刹那的というか限りある人生楽しめよスタンスな方が多いのかもしれません。

さらに言えば、女性だろうが男性だろうがあまり性別にもとらわれない感じ…に外野の私からは見える。

私の故郷は千葉なので、企業は多いしオフィス勤務なんて割と当たり前。

勤めてれば収入は安定しているから、仮にすぐに収入に繋がらないことは副業でやっていったほうがいい、的な感じがしていた。

でも「いわゆるオフィス勤務」が当たり前でないこの場所は、チャンスを逃したらアウトというか「ないものは自分で作る」という感じがあります。
なので、割と開業や独立に前向きな人が多く見受けられますね(注:偏った私の視点では)。

逆にオフィス勤務で安定的な収入&休日は土日祝&仕事帰りや休日は街をぶらついてショッピング楽しんで~的な生活を望む人には、めちゃくちゃつまらない街だと思います。モールとか駅ビル的な店ないんで!(笑)

個人店が多いので、点在しているそういう穴場なセレクトショップ的な店を探すのが好きな…上級者向けの街…だと思います…。

土地が変われば考え方も異なるんだなということを、たった一つの出来事こと身をもって知れたよという思い出話でした。

ずっとその土地しか知らない人には当たり前でも、違う土地の人からしたら当たり前じゃないこともある。

いいことも悪いことも別の視点を知るということは、大事なことですね。

ちなみにパートナーも18までこの土地で生まれ育ってきた人間なので、簡単に「やってみればいいじゃん」と言うタイプ。

簡単に言ってくれるな、コイツ…と思うのですが、「絶対無理だよ、やめなよ」と全否定するわけではない点は有り難いことだなぁと思います。

おかげさまで過去に作ったたくさんの毛の結び目も少しずつほぐれてきてるのか、色々自分も吹っ切れてきて、少しずつ動き出してます。

…いや、年をとっただけか?

グズグズ人間なので、動き出すのに人一倍時間がかかりますが、「まずはやってみる」。

自分の「夢」を叶えられるように一歩ずつ進みまーす。

4:ふと思ってしまった

毎日は無理だ!
ということで、時折休みをいれながらもブログをちまちま続けます。

本日、学生時代からの友人とチャットする機会がありました。

その中で「ニート」という単語がでてきて、兼ねてより思うことがあったので書き連ねます。

なお、これは誰のことを責めてるわけでもなく、単純に自分の思考回路の整理ですので悪しからず。

よくニートって聞きますが、「真のニート」って実際どれだけいるんだろうと疑問が出てきました。

そもそもニートをググってトップに出てきた「コトバンク」によれば

労働力人口のうち,1534歳の未婚で,就業せず,職業訓練就学,家事や家業の手伝いもしていない者を指す造語。ブレア政権下のイギリスで命名された概念で,英語ではNEETNot in EmploymentEducation or Training)。就業意思を見せない点がフリーター失業者と異なる。

とのこと。

これってすごいことだと思うんですよ。。

ブログやYoutubeの配信で収入を得ようとしたらすでにお金を稼ぐ意思=働く意思があるんですよ。

それで少しでも収入があったらブロガーやYoutuberと言えるわけです。立派な職業に就いていることになる。

こういう方達をネオニートとかいうらしいですが、本来のニートの定義から離れてるから、私は「真のニート」じゃないと思います。

自分はニートだと言ってる人ほどニートじゃなく、逆に自分がニートだと思っていない人がそうなのではないかと考えます。

また、就学とありますが、これは元の英語「Not in Education」=教育を受けている状態にない、として考えてみる。

Wikipediaによると教育は

・教え育てること。
知識技術などを教え授けること。
・人を導いて善良な人間とすること
人間に内在する素質、能力を発展させ、これを助長する作用 
人間を望ましい姿に変化させ、価値を実現させる活動 

とのこと。

知識を得るには教え授けてくれる何かがあるため、知識を得た時点で何かによって教育されているということになる。

となると、少しでも何かの知識を得ようとした時点でニートじゃなくなるのではないでしょうか…。

何も教育を受けよう(知識を得よう)ともせず、働く意思もなく、家事や家業の手伝いもしない…

うーん、ずっとテトリスとか誰でも何もみなくても感覚的に遊べるゲームとかの世界に没頭すればできるのかな…。自分の中で色々な想像を巡らせて楽しんで日々を過ごすだけという生活なら実現できるのかな…。

なんだか言葉遊びみたいな定義な気もしますけどね。

どのような人であれ、人に迷惑をかけず、自分が得意なフィールドで楽しく生きていればそれでいいんだと思います。

ちなみに35歳以上は中年ニート、高齢ニート、中年無業者などという呼び名に変わるそうです。

うーーーーーーん。言葉って難しい。

3:「3日続いたらいいほう坊主」は「7日続くかな坊主」になった

「3日続いたらいいほう坊主」は、4日投稿することができました。

次の関門はだいたい7日…。

何をするにもそうなんですが、自分で始めようと思ったことなのに続かない。

続かないのはやる気や根性がないからだとかよく言われますが、やる気がないわけじゃないんですよ。

なんで続かないんだろうなとじっと考えてみると「プレッシャー」という言葉が出てきました。

自分が興味を持って始めたことなのにプレッシャーってなんだろう…?

どうやら「何かを始める」=「続けるべきものだ」=「毎日やらないといけない」という考え方に変わってしまうようです。

そして、それができなくなったときに「言い訳を見つける/自分を責める」→「楽しくなくなって、できなくなる/辞める/遠のく」という悪循環に陥ってしまう。

それだけならまだ考え方のクセを改めれば変わりそうなんですけど、二兎どころか三兎四兎を追ってしまうところがあるからというのも大きな問題点かもしれません。

【A】が終わるorある程度完成したら【B】に行けばいいのに、【A】と【B】を同時に始めるからやりきれなくなってきて、勝手に苦しくなって終わる…みたいな。

どうなの、自分!!なんでそんなにいっぺんに追うの!!と思いますが、人生を考えた時に時間がないと考えてしまいがちなのか、その瞬間にやりたいことが多くて順序立てられないからなのか。

そして自分が決めたことがプレッシャーになり、今仕事で忙しいしと言い訳を始め、だんだんとフェードアウトしてしまう。

おお、これを書いているうちにモヤモヤがまとまってきました。
可視化って大事。

ではどうしたらいいんだろう、と考えてみる。

  1. まずは続けたいと思うものを絞り込む。
  2. 一日の中でどれくらい集中して取り組める時間があるのか算出してみる。
  3. どうしても複数になる場合は優先順位をつけてスケジューリングしてみる。

…なお、2をやったらスマホ触ってる時間が多いことに気づきました。
ゲームやネサフ。ここを縮められればだいぶマシかもしれないですね。
ちょっと長期的に取り組んでみます…。

自分で決めたことを毎日続けられる人は、意志が強いんだなと尊敬します。

ちなみに、習い事となるとちゃんと続きますね。
お金払ってるし行かなきゃいけないと思うので、予・復習してなくても頭に入らなくてもとりあえず行く。

逆に1人で家でやってるとなかなか続かない。

これは甘えが出るからなんでしょう。誰も見てないし自分しか知らない。

だから途中で興味が失われてきたら、またいつか気が向いたらやろう→そのまま放置し続けて自然に終わる、の繰り返しなのかもしれない。

じゃあ、仲間を作ればいいのか…?

専用のSNSアカウント作って、誰かに見られてる意識作るべきか?よく聞く弁当インスタのように?

ということで、半ば強引に利害が一致した感じのリアルフレンドを引っ張り込んで仲間を作ってみました(笑)

さぁ、一年間ちゃんと続けて成果を出すことができるのか…。

NHKの朝ドラ、「カムカムエヴリバディ」の虚無蔵さんの言葉:

日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ

を胸に頑張ってみよう。

2:ゲーム内のコミュニケーション

ゲームはオンラインでみんなでワイワイやる派ですか?

1人で黙々と楽しむ派ですか?

私は後者です。
ゲームでコミュニケーションなんて面倒だからしたくない派なので、スマホでゲームをするようになってからは、シングルプレイできるゲームアプリを探して楽しんでました。

そんな私ですが、今年の1月、あるアプリゲームを始めました。
むかーしPCでやってたのであまりにも懐かしく…

フレンド作りだのなんだのと事前に調べたゲームのまとめサイトなどに載ってはいましたが、昔と大差ないだろうしコミュニケーションなんて不要だろうと思い始めたのですが、現実は違いました。。

ゲーム内容としてはいわゆる着せ替えゲーム。
ですが、真面目に取り組むとコミュニケーション要素が比較的多く発生します。

例えば、クリアすることで報酬が得られるデイリーミッション。

ゲーム内でフレンドを作らないとクリアできないものがあるため、フレンドを作るために他プレイヤーに申請します。しかし、定型分申請NGとするユーザーが多いことから、自分で申請文を作る必要がある。

アイテムガチャはリリース頻度が高いため、当然物欲の嵐。
ガチャを回したからと言って当然欲しいアイテムが出ないこともあるわけで、確実にそのアイテムだけを狙うなら交換が確実です。

その交換相手を募集するときも交換板へ「交換したいもの・(人によって)どういう交換方針か」など詳細を投稿し、相手が見つかったら交渉といったやりとりが発生する。

交換以外にも、フレンドへ贈り物という形でプレゼントする方法もあります。
向こうが欲しているものを贈ってみても、特になにも反応がないと『プレゼントしないほうがよかったのか?迷惑だったのか…』と頭を悩ませる。

逆に思いがけずフレンドからプレゼントをいただくと『お返しをしないといけないな…でも相手が欲するアイテムを私は送れない…コメントするか?コメント嫌う人いるしなぁ…』と嬉しい反面、すごく頭を悩ませる…。

などなど、この連続です。

正直、シングルプレイで黙々とゲームしたい人には向かないんだろうなと思います。

所詮ゲームだし!と割り切ってしまえばいいんだけど、この画面の向こうに生身の人間がいると思うと、失礼のないように、という意識が強くなる。

また、ユーザー同士のコミュニケーション機能の一つとしてオープンな掲示板というものがあります。

これは誰でも見ることができるので、「今日〇〇でチャットしてくれた人ありがとう、楽しかった」的なコメントや「ガチャが楽しみ」とかそんな投稿で溢れているかと思いきや、「アイテム交換で〜〜だった」「〜〜なユーザーがいて〜〜だった。ブロックした」「なんでちゃんとこちらのルールを記したページを見てくれないのか」…などなどネガティブなものも出てきます。

公序良俗に反しなければ、正直どんな発言もOKなので愚痴が多い。

そこでなんとなく閲覧者側の間では「交換の時はこうする」「プレゼントはこう」など、暗黙のルールみたいなのができあがるものの、知らない人は自分のルールで遊んでいるので、そこで軋轢がまた生まれる…ようにも見えます。

逆に、ゲームだしと割り切っているのか顔が見えないから大丈夫と思っているのか、この言い方を自分がされたらどう思うんだろう?というようなことを平気で言ったりコメントされる方もいらっしゃる。

さらに掲示板に書き込む側はあくまでも「された」側が多いため、「した」側の具体的な行動や発言を取り上げて諌めたり遠回しに批判する。別に関係のないその投稿を閲覧したプレイヤーは「された」側に同情して「した」人をはぶっていくような感じも見受けられるわけです。

この様子を見ていると、ゲームなのにゲームじゃなく、小さな社会だな…と感じる自分がいます。

そして現実のいじめ的思想もこういった小さな綻びから広がっていくのかなとも思いました。

現実社会から離れて、息抜きに楽しく遊びたい。
にも関わらず、なんで心が疲れるような状況をつくりだしてるんだ?と疑問が浮かぶわけです。

オンラインゲーム全部が全部こうだとは思いません。
それぞれいろんな特色があるから、たまたまこのゲームがこうだったってだけです。

ただ、インターネット上でできることが増えてきたことで、近い将来ネット上でのコミュニケーションの方が当たり前になってくる。アバターを通したチャットでも会話でもなんでもいいです。

その時に、相手の顔が見えないから、何でも言っていいというわけではないと思うんですよね。
チャットだって基本は文字のやりとりだから、人によっては冷たくあしらわれたとか思う場合もあります。

相手との距離感もありますし、スピード感が大事なのもわかりますが、やはり自分が相手の立場になった時に、この言葉を返されたらどう思うか、ということを一旦考えることは大事なんじゃないかと。

それはリアルな人間関係でもそうですし、カスタマーセンターのチャットサポートや画面で一方的に配信する立場のYoutuberなども同様だと思います。

端的に機械的に言えばいいとか、自分の心を守りながら、鬱憤を晴らしたり欲望を満たすことだけがオンラインコミュニケーションツールの目的ではないはず。

オンラインだろうがなかろうが、現在において自分が会話をしている相手は人間だと改めて認識して「会話する」ということを考えてみる必要があるのかもしれないと思った出来事でした。

まぁAIやボットの場合もありますがそれはまた別のお話ですよね。。
ちなみにチャットサポートについても書きたいことがあるのですが、それはまた別の機会に…。

あー、またコイン貯めようっと。